:7.つくりもののような
さいしょ、インドの人が来る、と聞いたときは、いったいなんのことか分かりませんでした。
無知なわたしは、この会社でカレーでも作るのかしら? なんて思ったものです。
おかしいですよね。
でも、すぐ後に知ったことですが、インドはIT先進国なんですね、優秀なコンピューターのエンジニアがたくさんいると。
ちょうど七三の課長の部署で新たなプロジェクトを立ち上げようという動きがあって、インド支社のエンジニアが来日することになったそうなのです。
これも、後から知ったことですが、どうやらわたしは、そのインド人エンジニアの秘書兼サポート兼通訳という役割を与えられるべく派遣されたらしいのです。
でも、社長は、――あ、その前日に面接を受けたパンチパーマに真っ赤な裏地のスーツの人、が、インターテックという会社の社長です、――なにも言ってくれませんでしたし、七三の課長もなにも教えてくれませんでしたので、不安でいっぱいでした。果たしてわたしは、ここでやっていけるのか、と。
そんな不安など気づきもせず、課長はずいずいとエレベーターに乗り込んでしまうので、わたしも着いていくしかありません。あやうく満員となってしまうところ、なんとか乗り込んだのですが、電車だけではなく、エレベーターでもこんなに混雑するものなのかと、ちょっと不思議な気がしました。
エレベーターが動き出したとき、ガラス張りになっていて外が見えるエレベーターだということが分かりました。そのときは、こわい、と思って、外を見ることはできませんでしたけれど。
最新のエレベーターだったのでしょう、あっというまに十三階に着きました。エレベーターを降りると、通路も一面ガラス張りになっていて、外の景色が一望できました。ここから夜景を見渡したらきれいだろうな、東京タワーも見えるかもしれない、なんて思っていると、課長がずんずんと先に歩いていくので、小走りにあとを追いました。パンプスのヒールが喰い込むほどやわらかなカーペットが敷き詰められていて、転ばないように着いていけるだろうかと思ったものでした。入り口のところまで来て、課長が首から下げたIDカードのようなものを扉脇のお弁当箱くらいの大きさの機械にピッと読み込ませると、鍵が開き、室内へ入ることができました。
エントランスやエレベーター、通路の豪華さとは打って変わって、室内はごちゃごちゃとした、人と物がひきめきあった雑居部屋という感じでした。
やはり課長がどんどん先に歩いていくのに着いていったのですが、いったいどこまで行くのだろう、というくらい、奥へ、奥へ行った、果てのところに、ちょうど凸型に飛び出た空間があり、そこに無理矢理のようにデスクが並べてありました。
課長が、「みんな」と声をかけると、デスクとデスクの間のパーティションから、人の顔がにゅっと出てきました。
「今日から働いてもらうことになった、……何さんだっけ?」課長がわたしのほうを向き直りました。
「ミスミマキです」
「ああ、そう、ミスミマキさん。ええと、ハタチだっけ?」
「二十一です」
「そう。ええと、ミヤモトさん」と課長が声をかけると、手前から二番目の座席にいた女性が、はい、とこたえました。
「ミスミさん、インターテックの人なの。いろいろ教えてあげてね」
「ああ、そうなんですか」ミヤモトさんと呼ばれた女性が、身体を後方へのけぞらせてわたしのほうへ顔を向けました。一見してすぐ、かなり年齢が上のかただと分かりました。
「あたしもインターテックから来てるの。よろしくね」
わたしは、え、はい、よろしくおねがいします。とこたえました。
「ええと、それから、マツキさん」
ミヤモトさんの隣り、一番手前にいた女の子が、はい、とこたえました。受付のところにいた女性のように、固い表情をした人形のような女の子でした。
「この子、マツキリナちゃん。四月に入ったばかりの新卒。ミスミさんとは同世代だね」
「わたし、二十三ですけど」マツキさんと呼ばれたかたが事務的にこたえました。「わたしも入社したばかりで、分からないことだらけですけど。よろしくお願いします」
わたしは、え、はい、よろしくおねがいします。とこたえました。
「それから……」課長は、奥のほうを覗き、「イトウくん」と声をかけました。
すると、ミヤモトさんの隣りから男性がにゅっと顔を出しました。短めの髪に、浅黒い顔をしたひとでした。ひと目見た瞬間、その浅黒さは、健康的な日焼けによるものではない、ということが分かりました。肌とは対照的な白い目をぎょろっとさせてわたしの顔を見ると、にっと笑ってみせました。そのとき、まっしろな歯が見えて、思わず目を奪われました。あのときの印象を思い返したときにまっさきに浮かぶのは、不自然なくらいに白い、作り物のような歯、です。
「彼が、ミスミさんの教育係になるから」と課長が言いました。
「え?」わたしは、課長と、イトウさんと呼ばれた男性の顔を交互に見ました。
イトウさんは、なにも言わず、ただ、にっと笑ってみせました。