:4.赤い牡丹


 重々しい鉄の扉を開けると、室内では、事務員らしき女性と、パンチパーマにダブルのスーツを着た、まるでヤクザ映画の端役みたいな風貌の男のひとがひとり、待ち構えていました。

 まちがえました。――なんて言って、そのまま扉を閉めて、帰ってしまうこともできたはずです。けれど、わたしには、その扉を閉める勇気すらなかったのです。

 扉のまえに立ったままでいると、パンチパーマの男のひとがわたしを見て、

「ああ、いらっしゃい」と言いました。なにもかも、すべて了承済み、という感じでした。

「昨日、電話した人だよね?」と言うので、うなづいてみせると、くしゃっとした笑顔で、どうぞ、と中にすすめました。ためらっていると、さらにどうぞどうぞとすすめるので、心を決めて、足を踏み入れました。

 小さな室内には、応接セットというのでしょうか、二人掛けの革張りのソファーが向かい合って二つ並び、その間には、白いレースのテーブルクロスにガラスの灰皿がのったテーブルが置いてありました。絵に描いたような風景でした。そのソファーへ通されて、わたしは、すとんと腰を下ろしました。

 室内を見回すと、調度品とか飾りとか、そういったものが一切ないことに気がつきました。所狭しとデスクが四つほど並んではいましたが、置いてあるものといえば電話くらいで、だれかが使っている様子もなく、殺風景という言葉では足りないくらい、なにかが欠落しているように思えました。もし、デスクもなにもなかったのなら、もしかすると、この場所に引っ越してきたばかりなのかもしれない、などという想像もできたのですが、申し訳程度に並べられたデスクが逆になにかを隠そうとしているように思えて、なんだか妙な気持ちになりました。こんなところで、仕事ができるのだろうか? こんなところで、パソコンをマスターすることができるのだろうか? と。

 もしかすると、変なところに来てしまったのかもしれない。と思いました。

 なにも知らない素人が、仕事をしながら技術を身に付ける、なんて、そんなうまい話があるわけがないのだ、と。

 きっと、これから変なところに売り飛ばされてしまうのだ、どこか外国の工場、だとか、どこか地下壕のようなところで、延々とパソコンのデータ入力作業をしなくてはいけなくなったり……、なんて。

 あ、いま、笑いました、ね。

 妄想のしすぎでしょうか。でも、あのときは、本気でそう思ったのです。いまにして思えば、そんなばかなことがあるわけがない、と笑い飛ばせることですけれど。

 ともあれ、妙な想像に半ば冷や汗をかいて、ソファーの上で身を縮こまらせていると、事務員らしき女性となにやらこそこそ話をしていたパンチパーマのひとが、わたしのところにひらりとやって来ました。そのとき、ふわりと翻ったダブルのジャケットの裏地が見えたのですが、それは目の覚めるような、真っ赤なシルク風のものでした。きっと、その背中には、龍や獅子が刺繍してあるにちがいない、と思いました。のちにわかったことですが、事実、刺繍は、ありました。ただし、龍や獅子ではなく、牡丹の花でした、けれど。

 パンチパーマのひとは、わたしのところへ来るなり、

「パソコンさわったことないんだよね?」

 と、いきなり本題に触れました。

 わたしが、え、はい、とこたえると、困ったような顔をしました。だって、募集要項には「初心者歓迎」と書いてあったではないかと思っていると、

「でも、英検二級持ってんだよね?」

 と言うので、え、はい、とこたえると、

「それは、いいね」と言って、満足そうにうなづきました。

 いったい、なにがいいと言うのだろう? と、目のまえにいるこの謎の男性の、次の言動を待ちました。その人は、腕を組んでしばし考え込んでいましたが、突然、「よし、決めた」と言って、膝を打ちました。

「やっぱり、あすこだな」

 そう言って、事務員の女性に合図を送りました。

 わたしは、万事休す、と身を硬くしました。売り飛ばされる場所が決まったのだ、やはり、外国の工場なのだ、と思って。




 ところが、そんなわけはなく、わたしの事務職員としての勤務先が決まったのです。

 それは、いつかはと望んでいた、誰もが知っているような大企業といって差し支えないところでした。